第2回 「今スポーツが変わる、ゴルフが変える-2」

全英オープン最多開催コース「セント・アンドルーズ オールドコース」

ゴルフは、「三世代・老若男女」の誰でもが楽しめるポーツであると言われていますが、日本の参加率は7パーセントにも達していません。あるゴルフ関連組織がアンケート調査を実施し、残りの93パーセントの人たちに、「あなたは何故ゴルフをしないのですか」といった質問をしたところ、様々な回答がありました。
「費用や時間がかかりそう」「おじさんの遊びみたい」「ルールがめんどうくさそう」「ゴルフ場が近くにない」「一緒に始める仲間がいない」「プロゴルファーがかっこう良くない」等々。
この調査の詳細については折をみて紹介しますが、やらない派に共通する不満や疑問の生まれる原因が、「ゴルフが持つ本来の機能や楽しみと遊離した形で急速に市場を拡大した日本のゴルフ形態にある」、ということが明らかになりました。

そこで今回は原点に立ちかえり、ゴルフが持つ優れた機能と特性について考えてみます。

■ゴルフが持つ本来の機能と特性の検証

ゴルフの総本山「ロイヤル・アンド・エンシエント・ゴルフクラブ」

ゴルフの持つ本質的な機能を調べてみると、他のスポーツにはない次のような多くの特性を持っていることがわかります。

  1. 個人競技であり、一人でもプレーが可能である。勿論マッチプレーの場合対戦相手がいるが、集団的な取り組みの必要性はなく、あくまで個人の能力と判断力を基盤としている。スコアを初め、ほとんどが自己申請に委ねられている点も、他のスポーツでは見られない特性である。
    ☞「おひとり様○○がブームになっています。おひとり様ゴルフもどうかな」
  2. 自己規制能力の保有を前提としてルールが組み立てられているため、審判は基本的に存在しない。競技者の夫々が異なる場所と局面でプレーするケースが多く、また競技場が広大であり同伴者もチェックすることが不可能である。したがってゴルフは人間の「尊厳と信頼」を拠り所とする、理想主義的な性格が強い。これが「紳士・淑女のスポーツ」と称されるゆえんであるが、紳士・淑女の基準が経済的豊かさのレベルではなく、精神面と人間性の深さに置かれていることは言うまでも無い。
    ☞「ゴルフは本来、一定レベルの人格を備えた者だけが参加資格を持つスポーツである」
  3. 人間が道具を使って飛ばす競技では、最大の距離を実現できるスポーツであり、夢をかえる満足感を持つ。また球技スポーツの中で、プレー用ボールを自らが選択できる唯一の競技であり、クラブも規制をクリアした多くブランドの中から、個々のプレーヤーが最適なものを自由に選択できるという、幅広い受け皿を持っている。これが歳を重ねて体力が衰えても、ゴルフを楽しむことができる大きな要因となっている。
    ☞「大谷選手の特大ホームランだって、あなたならPWか9番アイアンで超えますよね」
  4. アマチュアの場合ハンディーキャップ制度があり、技量の異なるプレーヤーが同じフィールドで、同じルールのもとに競い合うことができるという、他に例のない球技スポーツである。また対面ではなく、一緒に同じゴールを目指しながらプレーできるのも、大きな特徴である。したがってハンディーキャップ制度は、同伴競技者と楽しくプレーするための「思いやりシステム」であり、自らの技量を誇示するために存在するものではない。
    ☞「ということは、シングルハンディキャッパーは皆優しい人たちですね、きっと」
  5. 競技場は自然のフィールドであるため、他のスポーツのような一定の規格や環境条件の統一基準がない。そのため異なるコースでの成果については絶対的な価値は無く、世界記録なるものも存在しない。また同じコースでも季節により、同じ日でも時間帯により絶えずプレー環境が変わる。全英オープンの開催コースとして有名な「セント・アンドルーズ」は、一日の中に四季があると言われるくらい気象の変化が激しく、スタート時間によりプレー条件がまったく異なることがある。ゴルフは、こうした「神が与える不公平」を受け入れる、心の広さも必要となるスポーツでもある。
    ☞「ナイスショットをしたのに何でディポットに・・、これも神が与える不公平です」
  6. ゴルフは18ホールを回るのに4時間程度必要であるが、そのうち全身を使うのはショットの際だけであり、一般的には数分の時間に過ぎない。他はパターをしたり、ショットの準備をしたり、ボールを探したりするだけで、ほとんどの時間を自然の中で歩いたり(最近ではカート使用が多いが)、同伴者と会話をしたりして費やすスポーツである。そのためコミュニケーションをとりやすく、お互いの絆を深める効果も期待できる。
    ☞「ゴルフを三世代で楽しむ人たちに、家庭崩壊の危機はありません」
  7. 「あるが儘の自然のコースを舞台とし、あるが儘の状態のボールに対処し、自らを律しながら戦う」ということがゴルフ競技の原点である。この傾向はスコットランドのリンクスコースにおいて顕著であるが、ドーソン・テーラーという人が次のような言葉を残している。「大自然が設計家であり、人間と動物が施工主だった。スコットランドの海岸線は時代と共に潮の干満によって次第に形づくられ、何世紀も過ぎていく間に海が後退して行き、砂の荒地が残された。荒地は満潮のたびに海水に洗われ無数の溝ができてきた。溝は小川となり、水路となっていった云々・・・・・」
    ☞「名門コースの称号は、神からの自然条件・会員・歴史が醸成し与えられるものである」
  8. ゴルフプレーヤーに関する英国人の理想像をあらわした言葉として、セント・アンドルーズにある球聖ボビー・ジョーンズの追悼銘碑の中に次の一節がある。「その技量において比類なく、その精神において騎士であった一人のゴルファー・・・・・・」
    ☞「文武両道の能力を備えた人は、ゴルフにおいても世界共通の尊敬対象なのですね」

球聖と称された「ホビー・ジョーンズ」

以上のようにゴルフを成立の原点から検証してみると、自然と神と人間の触合いを基盤とする自己研鑽の手段であり、「人間の尊厳とジェントルマンシップ」 「ナイトの精神」 を尊重する特殊なスポーツであることが分かりましたが、その象徴的な存在として讃えられたのがボビー・ジョーンズでした。弁護士であったボビージョーンズは、「全英オープン」「全米オープン」等を制するといった卓越した技量を持ちながら、生涯アマチュアゴルファーとしてゴルフの普及に貢献しました。4大メジャー大会のひとつであるマスターズ・トーナメントを創設し、その舞台となるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブのコースの設計にも携わるなど、彼の残した功績は計り知れないものがあります。その後米国においてプロゴルフトーナメントが隆盛になり、スコア重視の傾向が強まっていきました。その結果、自然と人間の触合いや精神性を最重視する「英国型理想主義的ゴルフ」と、科学とビジネス性を重視する「米国型合理主義的ゴルフ」が並立しながら市場の拡大を実現してきましたが、さらに特殊な形態で急成長した「日本型ゴルフ」も加わり、一層複雑な様相を呈する様になりました。

様々な問題を抱えているゴルフ界ですが、近年新しい時代に合ったスポーツに変革するための取組みが世界的に始まっており、日本でもあなたのゴルフをより楽しく、より魅力的にするための多くの取り組みが検討されておりますります。こうした日本のゴルフの特性や問題点、そして新たな取組みについては、次回お話しします。

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